乙女の美学校



前回の更新からずいぶん時間がたってしまった。。
pcのモデムが飛んでしまい、ネットに接続できなかったこともあり・・。

先日の乙女の美学校は、憧れのスタイリストの
大森仔佑子さんがゲスト。
大森さんといえば、オリーブで、
今や荘苑の看板スタイリストさん。

大森さんが登場しただけで教室の空気が一変する。
憧れの人は想像していた以上に素晴らしかった。(こんなことってそうそうない)

声、話し方、住むところ、言動、せいひん・・
すべてが、大森さんのスタイリングする世界と全く違ってなく、
生き方に一本筋を通してる。
この人は本物で、嘘がない、
その真実の姿に
感動した。

そして荘苑70周年記念のイベントで行われた
大森さんのファッションショーのビデオを見せてもらう。
「会場では泣いていた人もいた」と聞いたのだけど
嬉しくてとかそういう涙かと思った。
けど違った。

ラスト、
真っ暗な中にちらちら降る雪
白い衣装をまとった女の子は
真っ黒な衣装に変化を遂げる。
音楽とともにライトの眩しさは
太陽のような輝きとぬくもり。
それがどんどん高まり
眩しさもぬくもりも
熱いほど・・
空気が、息が、世界が。


美しくて儚い世界・・・けれど
その真ん中にあったのは、
わたしたちがすっかり忘れていたようなもの。
何かを思い出しそうになった。
よくわからない、けれどその瞬間は「あ、知ってる」。
とても大切なものを思い出した。
ハートが熱くなって
どうしたって涙がにじんでくる。
知ってる、知ってる、
なんだろうか、この感覚。
手探りの状態で掴んだもの。


みれてよかった。
この時間を決して忘れたくない。



大森さんは言ってた
「洋服を売りたいのではなく、見せたい」
「若い女の子たちに伝えたいものがあるの」


それぞれがそれぞれの感覚で
大切な何かを感じとったに違いない。

大森さんのような人がこの世界に存在することが
わたしは嬉しい。


  


2006年11月21日 Posted by YUMI at 21:25乙女の美学校

レディ・イン・ザ・ウォーター



今日は映画の日だったので
M・ナイト・シャマラン監督のレディ・イン・ザ・ウォーターを見にいった。

今回は、シャマラン映画特有の重苦しい雰囲気もそれほど感じず、
プールを真ん中にぐるりと囲んだマンションの感じがどこかPOPさを演出してた。

いろんな人種が集まっていて、さまざまな年齢の住人が登場する。
小さな男の子からおばあちゃん。
そして、キャラクターごとのインテリアの違い。
小さな集合体。それはこの世界の縮小版のようでもあるかな。


人の見せるいくつかの顔が何かを複雑にする。
例えば一瞬「この人悪い人?」と勘ぐってしまうような人が
協力者になったりするからわからない。

情報だけを信用した場合、何かを見落としてしまったりする。
誰がどんな時、協力者や理解者になるか・・
またはその反対も。

出会う人すべてに意味があり、
それは謎ときのようなものだ。


人生の意味は、目的は、役割は・・・
そういったテーマがあるけれど
シャマラン映画に出てくる人物のどこか「くすっ」とさせる可笑しさが
物語を軽くさせてくれる。

わたしは特に韓国人(だよね?)の親子のやりとりが好き。
そして右腕だけ筋肉を鍛えている男性はやはり・・・(ネタばれ!)
そしてやっぱどこか可笑しい。


人が陥りやすい部分、恐怖や不安、自信のなさ・・・
それに引き寄せられて(一見)展開しはじめる悪循環・・・
そんな闇の部分を描くのがサイン同様、本当にうまいと思う。
そしてその流れを一瞬にして変化させるのはその逆の部分。
わたしたち人間はそのどちらも持っていて
だから人生はおもしろく、すべての出来事に無駄はない。

日々のサインに気をつけたい。
そんなことを毎回確認させられる。


それから・・(これもサインと同じく)、恐怖の対象だったりするもの、
それが目に見えたとき、映画として見ると、
「え・・・」と苦笑いしてしまうような出来ではあるんだけど
(今回は野獣(かな?)サインでは宇宙人、その部分だけ、何故かとてもちゃちい)
もっと客観的に見てみると、
自分の生きている現実に当てはめたら、
そんな悲観的に悲劇的になるものでもないって
言われているような気がしてならない。

そんな意味もあって、
・・あんな成りをしているんじゃないのかな。

いろんな見かたができてしまう、
そしてみる人によって
まったく評価が違う
シャマラン映画は、
この世界の本質をついているようで
わたしはとっても好き。

次回作も楽しみ。

★★★★半

  


2006年11月01日 Posted by YUMI at 21:22cinema